DIVA 女神 「diva」は、元々イタリア語で「女神」を意味する言葉で、英語では「歌姫」や「プリマドンナ」という意味で使われるようになりました。また、転じて、カリスマ性のある女性や、周囲を魅了するような存在を指す言葉としても使われます。 イタリアの総合陶磁器メーカー、ジノリ1735(GINORI1735)は、2024年にDIVAコレクションを発表しました。DIVAは、躍動感・洗練・フェミニンを表現しています。 ※ Discover Diva: porcelain with elegant lines | Ginori 1735 ジノリは、1735年にトスカーナ大公国のカルロ・ジノリ侯爵 (Carlo Ginori) が自領であるドッチア(フィレンツェ県、セスト・フィオレンティーノの一部)に磁器窯を開き創業しました。 当時マヨリカ陶器全盛のイタリアにおいて、マイセンやウィーン窯に対抗すべく、鉱物学に造詣が深かったジノリ侯爵は自ら原料土を捜したり、ペーストの生成や発色等の磁器の研究を行い、イタリア初の白磁を完成させました。 開窯当初はマイセンのような豪華で精緻な芸術作品に力が注がれていました。その為、初期のジノリは、マイセンの影響を受け、装飾性の高い芸術作品を多く制作していました。 1896年、ミラノのリチャード製陶社と合併して、リチャードジノリ(RICHARD-GINORI)となります。1956年、ラヴェーノのイタリア陶磁器会社と合併し、イタリア最大の陶磁器メーカーとなりました。 ジノリ最古の代表作で、1700年代から作られている「ベッキオホワイト」は不変の定番として親しまれています。また、1760年頃にトスカーナのとある貴族の為に造られた「イタリアンフルーツ」は現在でも新鮮さに満ちあふれ、不朽の名作として愛されています。 この2つは、日本でも、よく見かけるので、人気があるのではないかと思います。 私が、「ジノリ」というブランドをハッキリと認識したのは、ミラノで路面店を訪れたときでした。卸売りかしらと思えるくらい、雑多に商品の箱が積み上げられている店内で、ディスプレイもほとんどされておらず、お店の方もあまり商品を売りたがっている様子ではありませんでした。 ミラノの大聖堂デュオモの向かえにあるデパートでは、家庭用のジノリの食器が多数売られていました。そ...
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The Peasant Dance 『農民の踊り』 フランドルの画家ピーテル・ブリューゲルが1568年頃に描いた絵画です。 ※ 作者 ピーテル・ブリューゲル 製作年 1568年頃 種類 油彩、板 寸法 114 cm × 164 cm (45 in × 65 in) 所蔵 Kunsthistorisches Museum - KHM.at 美術史美術館、ウィーン フランドルの農村におけるケルメスと呼ばれる縁日の様子が描かれていて、風俗画に分類されます。 奧行きを出すための遠近法が用いられていることや、大型の人物が描き入れられていることなどから、ブリューゲルの晩年に描かれたものと考えられています。 16世紀のフランドル地方の農村を舞台に、祭りを楽しむ農民たちの姿、踊る人々、飲食する人々、そして背景には教会が描かれています。ブリューゲルは、農民の生活をありのままに描くことで、当時の社会風俗や宗教観を反映させました。 村の道で4人ほどの男女が、バグパイプの演奏に合わせて、ペアになって踊っています。画面の右端には、1人の老爺が女性の手を引きながら、踊りに参加するために走り込んできた様子が描かれています。老爺の帽子には、スプーンが装着されています。 画面の左側には、居酒屋の前に持ち出されたテーブルが描かれており、その周りには村民の他に、バグパイプの演奏者が集っています。バグパイプを演奏している太った男性は、指をパイプの穴に正確なポジションに添えており、頬を大きく膨らませています。バグパイプは、極めて正確に描かれています。テーブルの上には、バターやパン、水差しなどが描かれています。 バグパイプ奏者の手前には、小さな子どもに踊りを教えている老女の姿が描かれています。バグパイプ奏者の後方には、素焼きのジョッキを手にしている男性客がビールを勧めている様子が描かれています。帽子で目が隠れている盲人の他に、手を前に差し出している男性は、物乞いであると思われます。 キスを交わす恋人たちや、左右で色が異なる衣服を身につけた道化の他に、家の中から女性を引っ張り出そうとしている人物などが描かれています。 画面中央左に描かれた農家の2階の窓からは、赤い「ケルメスの聖旗」が垂れ下げられていますが、この旗は、縁日の賑わいの中で、宗教的な意味合いを忘れ、浮かれ騒ぐ農民...
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De Nachtwacht 『夜警』 ※ 作者 レンブラント・ファン・レイン 製作年 1642年 種類 キャンバスに油彩 寸法 363 cm × 437 cm (143 in × 172 in) 所蔵 Rijksmuseum Amsterdam, home of Dutch master pieces 、 アムステルダム国立美術館 オランダの17世紀の画家、レンブラント・ファン・レインにより、1642年に描かれた作品です。 レンブラントの光と影を巧みに用いた独特の表現技法で、豪華な装飾を身につけた中心人物が際立たされているのは誰なのだろう 、 『夜警』という題名から、当時のオランダの警官の姿を描いているのだろうと理解していました。 こちらは、フランス・バニング・コック隊長率いる火縄銃組合の市民自警団の集団肖像画で、市民自警団の活動を生き生きと描いた傑作として知られています。 通称の『夜警』は長い間、この絵画の内容によく合ったものと考えられてきましたが、これは絵画の表面が茶色く変色したことによる誤解です。実は、この絵画は昼の情景を描いています。 バニング・コック家に保管されていたこの絵画のための素描には、横に以下のような記述があり、より適切な題名の手掛かりになっています。 「(隊長の若きプルメレント領主(バニング・コック)が副隊長のフラールディンゲン領主(ファン・ラウテンブルフ)に市民隊の行進を命令する)」 オランダの市民自警団(Schutterij)は、15世紀後半から17世紀にかけて、オランダの歴史と文化に深く根ざした存在であり、都市の安全と市民生活を支える重要な役割を果たしました。 市民自警団は、特定の職業ギルドに属するのではなく、様々な職業の市民によって構成されていて、聖ゲオルギウスや聖セバスティアヌスなど、武器に関連する聖人を守護聖人としていました。 聖ゲオルギウス(St. George)は、 ドラゴンを退治したことで有名で、聖セバスティアヌス(St. Sebastian)は、矢で射られた姿で描かれることが多いです。 その起源は中世に遡り、都市の自治権確立と深く関わっています。都市の住民は、外部からの侵略や内乱に備え、自ら武器を取り、訓練を積む必要がありました。 16世紀のネーデルラント独立戦争(80年戦争)の時期に...