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  Eurasian ユーラシア人 初代侵略者の子孫が暮らす街、ポルトガルスクエアの夕陽 マラッカ王国は、 大航海時代の始まりの頃、東西交易の要として栄えていて、500を超す言語が通用していました。 国際交易港を抱えるマラッカ王朝は、1511年ポルトガルに武力で侵略され、1641年にオランダが、ポルトガルをマラッカから完全に駆逐するまで、130年間、 ポルトガル領マラッカは続きました。 当時、 ポルトガルにとってマラッカは、インドのゴアや中国のマカオと並ぶアジア貿易における最重要拠点の一つであり、香辛料貿易の中心地であるモルッカ諸島への東進を可能にする戦略上の要衝でした。 その初代侵略者「ポルトガル人」の子孫たちは、現地民族との混血を繰り返しながらも宗教や言語を守り、地元ではユーロ(Euro)が祖先のアジア(Asia)人の意味で「ユーラシアン」と呼ばれています。 【マレーシア国内旅行】マラッカで美味しいパンケーキが食べられるカフェ『The Daily Fix Cafe』|NOAH 現在、マラッカには、 かつてのポルトガル植民地時代の名残として、 マレーシアの文化が融合した 古民家(ショップハウス)をリノベーションしたポルトガル料理・カフェ、 「The Daily Fix Cafe」 があります。 【マラッカ】ここは外せない!マレーシア・マラッカのおすすめ観光スポット|阪急交通社 1795年にはイギリスがオランダからマラッカを獲得し、イギリスは、マレー半島の ペナン・シンガポールの地域を合わせて1826年に 海峡植民地 と呼ばれる植民地を成立させました。 さらにイギリスは1895年、海峡植民地に領土を付け加える形で マレー連合州 を成立させました。 マラッカは、マレーシアの歴史と文化が色濃く残る歴史的な建造物が立ち並び、エキゾチックな魅力的な観光都市になっています。
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Matsumoto Castle 松本城 国宝 松本城について | 国宝 松本城 松本城は、長野県松本市(旧・信濃国筑摩郡筑摩野松本)にある日本の城です。 松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)と言われ、戦国時代の永正年間(1504-1520年)に、信濃守護家小笠原氏(府中小笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれている。 その後、小笠原氏野の他、石川氏、松平氏、堀田氏、水野氏、松平氏(戸田氏)が主な城主として居住しました。 天守は安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造された現存天守の一つとして国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されています。天守が国宝指定された5城(他は姫路城、犬山城、彦根城、松江城)のうちの一つです。 建築構造としては、平地に築かれ、現存する日本最古の五重六階の天守を持つ「烏城」として知られる平城です。 本丸、二の丸、三の丸ともほぼ方形に整地されています。南西部に天守を置いた本丸を、北部を欠いた凹型の二の丸が囲み、さらにそれを四方から三の丸が囲むという、梯郭式に輪郭式を加えた縄張り構造になっています。 これらは全て水堀により隔てられていて、現存する12天守の中では唯一の平城です。 廃城したのは、1871年(明治4年)、遺構としては、現存天守、石垣、土塁、堀、二の丸土蔵になります。 Japan Photo Journal: Laser beam light show illuminates Matsumoto Castle - The Mainichi 国宝松本城は、欧米を中心に「黒と白のコントラストが美しい現存天守」として高い評価を得ていて、多くの外国人観光客が訪れます。 過去に、長野県松本市の観光PRイベント「まつもとイルミネーション2021-2022」開催され、2021年12月1日から2022年2月28日まで、レーザー光線やスポットライトが天守閣に照射され、暗闇から天守閣が浮かび上がるような演出が行われていたようです。 レーザー光線により、白黒のコントラストがハッキリとします。 春のイベント | 国宝 松本城 また、毎年、松本城管理課による開花宣言の3日後から8日間にわたり、「夜桜会」が開催され、 今年は、4/4(金)~4/11(金)の開催予定のようです。 ライトアップされていて、綺麗でしょうね☆
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Easter 復活祭 イースター(復活祭)は、十字架にかけられて亡くなったイエス・キリストが3日目に復活したことを祝う、キリスト教において最も重要な記念日です。 春の訪れを祝う意味もあり、2026年は、4月5日(日)に祝われます。 イースターは、卵(イースターエッグ)やウサギ(イースターバニー)がシンボルで、エッグハントなどの遊びを楽しみます。 卵(イースターエッグ)は、生命の誕生、キリストの復活を象徴で、 うさぎ(イースターバニー)は、子だくさんなことから豊穣や繁栄の象徴です。 イースターにはノイハウスのイースターエッグ&イースターバニーチョコレートを | 海外の高級ベルギーチョコレートお取り寄せならボナペティボン神楽坂 日本では春のイベントとして、カラフルな卵の装飾やうさぎモチーフのお菓子、エッグハントが店頭やテーマパークで親しまれ、桜の時期と重なる3〜4月頃に楽しむのが一般的です。 ロンドン動物園、サルとオオトカゲがイースターの卵楽しむ | ロイター イギリスのロンドン動物園では、イースターをお祝いで、キツネザルやリスザル、コモドオオトカゲにイースターエッグのごちそうが振る舞われます。 動物園によると、イースターのイベントを利用して、飼育されている動物たちに、野生で必要なスキルを使って木の葉に埋もれた食べ物を見つけさせるなどしているとか... Easter Family Fun | London Zoo また、動物園の特別なイースターエッグハントに参加して、園内をくまなく探検できます。 園内に隠された6つの巨大なイースターエッグを探します。それぞれのエッグには秘密の手紙と謎が隠されており、好奇心旺盛な参加者は動物園のあちこちで手がかりを探しながら協力し合います。 イースターエッグハントは、来園者にとっては、発見、創造性、そして季節の楽しみが詰まった、忘れられない家族向けの冒険で、 園内を探索しながら、動物たちに関する知識を深められるイベントです。 また、動物園に行かなくても、ロンドン市内のお菓子屋さんのショーウィンドウに、お洒落なイースターエッグが飾られるので、それを眺めるだけでも楽しい気分になれるかもしれません♪
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C hâteau d'Amboise アンボワーズ城 アンボワーズ城は、フランスのロワール渓谷、アンドル=エ=ロワール県のアンボワーズにある城です。 アンボワーズ城 アンボワーズ城は、フランス王たちが幼年期を過ごした場所です。シャルル8世はこの城で生まれ、フランソワ1世は、アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの子供たちと同様に、ここで青少年時代を過ごしました。 時代ごとに、ヨーロッパの多くの芸術家たちが、王によって招かれました。中でも最も有名なのがレオナルド・ダ・ヴィンチです。フランソワ1世がレオナルド・ダ・ヴィンチを呼び寄せたクロ・リュセはすぐ近くにあります。 レオナルド・ダ・ヴィンチが最期の時を過ごしたアンボワーズ 必見のクロ・リュセ城と中世グルメ! | イタリア旅行専門店トゥッタ・イタリア クロ・リュセ城 (Château du Clos Lucé)クルーの館(クルーのやかた)は、フランス王フランソワ1世が幼年期を過ごしたシャトーです。 アンボワーズ城の近くにある現在この二つの建物は地下通路で繋がっています。 フランソワ1世の招きに応じて、1516年秋、64歳のレオナルド・ダ・ヴィンチは、イタリア・ミラノから、フランチェスコ・メルツィなどの弟子や、彼の忠実なミラノ人の召使のバティスタ・ド・ヴィラニスとともにアルプスを越え、アンボワーズに移住しました。 クロ・リュセ城 レオナルド・ダ・ヴィンチ・パーク この時、彼は、彼の手稿と「モナリザ」を含む3作の傑作絵画を持参しました。これらの絵画は、現在、ルーブル美術館に所蔵されています。 レオナルド・ダ・ヴィンチは、クロ・リュセ城で暮らしながら、仕事を続け、1519年5月2日にクロ・リュセ城の自室で亡くなりました。 美しい庭園と良い眺めのお城で、それに加え、天才と呼ばれる「 レオナルド・ダ・ヴィンチ」という芸術家を擁護していたいう歴史のある場所です。
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Almond Blossom 花咲くアーモンドの木の枝 Vincent van Gogh - Almond Blossom - Van Gogh Museum 青空を背景にした『花咲くアーモンドの木の枝』は、オランダの画家フィンセント・ファン・ゴッホが1890年に制作した油絵です。 ゴッホが南フランス・サン=レミ=ド=プロヴァンスの精神病院で療養していた時、パリにいたフィンセント・ウィレムという息子が生まれたばかりの弟テオと義姉ジョーへの贈り物でした。 南仏プロヴァンスでは、アーモンドの花は早春の風物詩です。バラ科サクラ属に属する「桜の親戚」で、2月頃から寒さの残る景色の中に、白やピンクの可憐な花が咲き誇り、春への希望を感じさせます。 ゴッホはこの画題、大胆な輪郭、そして画面における木の配置は、日本の浮世絵の影響が見られます。 絵の花の色は、もとはピンク色が強かったのが、光線にさらされて褪色し、より白っぽくなっています。 この作品は、ゴッホ一家にとって最も心に深く刻まれ続け、フィンセント・ウィレムは、後にオランダのアムステルダムに「ゴッホ美術館」を設立しました。 東京開化名景競-駿河町三ツ井|収蔵品|NOVARE Archives 清水建設歴史資料館 上の浮世絵は、明治時代に制作され、江戸・東京の近代化(開化)した風景を描いたシリーズの一つです。 三井越後屋(現在の三越伊勢丹)や駿河町付近の様子を描いていて、江戸の情緒を残しつつも、桜の木とともに、当時の最新の街並みや活気が感じられる作品として知られています。  日本橋室町「江戸桜通り」は、昔ここから、遠くに富士山が望めたらしいので、《駿河町》と言っていたそうです。 写真7/9|「サクラ フェス ニホンバシ 2026」夜の日本橋が”桜色”にライトアップ、屋台飯と夜桜花見 - ファッションプレス 現在でも、東京・日本橋室町エリア人気の花見スポットの1つです。 「サクラ フェス ニホンバシ 2026(SAKURA FES NIHONBASHI 2026」が、2026年3月18日(水)から4月5日(日)まで開催されます。 桜は、日本の春の象徴であり、田の神が宿る木として信仰され、儚く散る美しさが日本人の死生観や精神美(日本人の心の美しさや潔さを表す。)と結びついています。 春のお祝い(卒業、入学、入社など)において...
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Église de la Madeleine マドレーヌ教会 マドレーヌ教会は、、フランスの首都・パリ8区にあり、「聖女マドレーヌ」を守護聖人とするカトリック教会です。 パリでお散歩♡コンコルド広場からマドレーヌ寺院、プランタン | 東京おさんぽ&旅日記 その外観は、キリスト教の教会としてはかなり異例で、コリント式の柱が並ぶなど古代ギリシア・古代ローマの神殿を模したネオ・クラシック様式(新古典主義建築)です。 ブルボン朝末期、ルイ15世により聖女マドレーヌに捧げる教会として建設が始まり、途中、フランス革命などで建設を中断しています。 1805年、ナポレオン1世がフランス軍の名誉を讃える栄光の神殿とすることを決定し、建築家ピエール・ヴィーニョン(1763-1828年)が古代神殿風のデザインで設計しました。 1806年に工事を再開し、ナポレオンの失脚後、ルイ18世によってカトリック教会に用途が戻され、1842年に完成しました。 アリスティッド・カヴァイエ=コルによって建造されたパイプオルガンは1849年に設置され、現在のものは1923年に修復を受けたものです。 歴代のオルガン奏者はサン=サーンスなどの著名な演奏家・作曲家で占められました。帝国の公的な教会だったマドレーヌ寺院のオルガニストは、当時のパリのオルガニストの最高峰といわれた職でした。 同寺院でサン=サーンスの演奏を聴いたリストは、彼こそが世界最高のオルガニストだと言い切ったそうです。 オルガニストの一人だったガブリエル・フォーレが「レクイエム」の初演をマドレーヌ寺院で行ったことでも知られてます。 このマドレーヌ寺院があるパリ8区の「マドレーヌ広場」は、高級食料品店「フォション」の本店やカフェが集まるエレガントなエリアです。 〈フォション〉マドレーヌ詰合せ | 商品詳細 | 高島屋オンラインストア フランスの伝統的な焼き菓子の「マドレーヌ」も、聖女マドレーヌに由来し、フォションでは、ナチュール・フランボワーズ・ピスターシュ・ショコラなど販売しています。 マドレーヌが貝殻型焼き菓子である由来は、18世紀半ば、フランス東部ロレーヌ地方のコメルシーで、菓子職人マドレーヌが、キリスト教の巡礼(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)のシンボルであるホタテ貝の形を模して作ったと言われています。 ロレーヌ地方は、中世からのサンティ...
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Karlův most カレル橋 カレル橋は、チェコ共和国のプラハを流れるヴルタヴァ川に架かる橋です。 神聖ローマ皇帝カール4世(ボヘミア王カレル1世でもあった)の治世下、建築家ペトル・パルレーシュの設計によるもので、1357年に建設が始まり、1402年に完成しました。 1841年までプラハ旧市街とその周囲をつなぐ唯一の橋で、西欧と東欧の交易ルートとしてプラハが重要な地位を占めるようになりました。 世界で最も美しい景観の石橋に選ばれたカレル橋 | プラハガイド佐藤の歴史散策 アメリカのオンライン旅行代理店「トリップアドバイザー」は、この「カレル橋」を、世界で最も美しい景観の石橋に選びました。 交響曲第9番「新世界より」で有名な、チェコ国民楽派を代表する作曲家のアントニン・レオポルト・ドヴォルザークは、プラハの北約30kmほど、北ボヘミア、ロプコヴィッツ家の本拠地のひとつであるネラホゼヴェスに生まれました。 「新世界(ニューワールド)」とは、15世紀末のコロンブス到達以降にヨーロッパ人が認識した、南北アメリカ大陸を中心とする地域のことです。 古くから知られていたユーラシア・アフリカ大陸(旧世界)に対し、新たな探検・開拓地として名付けられました。 Amazon.co.jp: ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」: ミュージック ドヴォルザークの生家は肉屋と宿屋を営んでいた。父親はツィターの名手として村では評判で、簡単な舞曲を作曲して演奏することもありました。 ドヴォルザークは、6歳で小学校に通い始めるが校長のヨゼフ・シュピッツにヴァイオリンの手ほどきを受けると見る間に上達し、父の宿屋や教会で演奏するようになり、8歳で村の教会の聖歌隊員、9歳でアマチュア楽団のヴァイオリン奏者となり、音楽的才能を見せ始めます。 ドヴォルザークは、プラハのオルガン学校へ入学しました。卒業後は、楽団にヴィオラ奏者として入団、ホテルやレストランで演奏を行って、その後、国民劇場のオーケストラのヴィオラ奏者となりました。 ドヴォルザークは、ウィーンにブラームスを訪ね、翌1879年にはブラームスがプラハのドヴォルザークの許を訪ねるという具合に親しい交際が始まりました。 その後、国際的な名声を得て、ニューヨーク・ナショナル音楽院院長職への就任、交響曲第9番「新世界より」の完成に至ります。 チェコに...