La Moreneta 黒い聖母マリア像 Our Lady of Montserrat - Spirituality in Montserrat 黒いマリア像(黒い聖母)は、肌や服が黒色に作られた聖母子像で、中世ヨーロッパを中心に約500体存在する。 代表格はスペインの サンタ・マリア・ モンセラット修道院の「ラ・モレネータ」(カタルーニャ語)で、12世紀の ロマネスク様式の 木造彫刻です。 カタルーニャ語で「日焼けした女性」や「小さな黒い女性」を意味し、日本語では「黒い乙女」や「黒い聖母」と訳されます。 肌の色 : 顔や手足が黒いのが最大の特徴です。もともと黒く塗られていたわけではなく、何世紀にもわたる 蝋燭の煤やニスの酸化 によって徐々に黒くなったと考えられています。 モンセラート修道院は、バルセロナから電車で約1時間のところにあり、 「ラ・モレネータ」は、 聖堂の祭壇上部に安置されています。 バルセロナ郊外の神秘の奇岩群モンセラットへ 右手に「宇宙」を象徴する球体を持ち、膝の上には松ぼっくり(永遠の命の象徴)を手にした幼子イエスを抱いています。 この 黒い聖母マリア像は、 880年頃、羊飼いの子供たちが山の中に不思議な光と音楽を見つけ、洞窟の中でこの像が発見されたと言い伝えられています。 1881年に教皇レオ13世によってカタルーニャの守護聖人に認定されました。 この聖母像に触れて祈ると願いが叶うという伝説があり、世界中から巡礼者が訪れます。 現在、マリア像の大部分はガラスで保護されていますが、右手の球体部分だけは露出しており、参拝者はそこに触れることができます。 黒いマリア像(黒い聖母)は、埃やろうそくの煤で汚れて黒くなったものもあるが、大部分は黒が本来の色であるとみられる。中世、多くが11世紀から15世紀にかけて製作され、ほとんどが木製です。 なぜ黒い肌か謎で、 キリスト教信仰以前にオリエント一帯、またはケルト文化圏に広まっていた大地母神信仰が吸収されたとする説、エジプトのイシス信仰と結び付けコプト教の影響をみる説等があります。 黒い聖母子像も珍しいのですが、ゴツゴツとしたとがった岩山に修道院があるのも、聖地の中の聖地だと言わんばかりの雰囲気を感じます。
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Las Meninas 女官たち 初めてこの絵画に出会ったとき、真ん中の「 マルガリータ王女」が印象的なのと同時に、不思議な感じがしました。 これは、ディエゴ・ベラスケスが1656年に描いたスペインのバロック絵画で、スペイン・マドリードの プラド美術館に所蔵されています。 タイトル 「ラス・メニーナス」(Las Meninas)は、 「女官たち」を意味し、作品には幼い王女マルガリータと、彼女に仕える女官たち、そしてベラスケス自身が描かれています。 舞台は、フェリペ4世のマドリード宮殿の大きな一室です。 人物像のうち、幾人かはカンバスの中から鑑賞者の側に向かって注意を向け、残りの幾人かが互いに交流しています。 幼いマルガリータ王女を取り囲んでいるのは、お付きの女官、侍女、目付役、2人の小人と1匹の犬です。 彼らの背後には、大きなカンバスに向かうベラスケス自身が描かれています。ベラスケスの視線は絵の中の空間を超え、絵の鑑賞者自身の立ち位置の方向に向けられています。 背景には鏡がかかっており、王と王妃の上半身が映っています。王と王妃は、絵の外、つまり鑑賞者の立ち位置と同じ場所に立っているように見えます。 謎かけのような構成の作品で、現実と想像との間に疑問を提起し、観賞者と絵の登場人物の間にぼんやりした関係を創造します。 17世紀のスペインでは、画家が高い地位を得られることは、めったにありませんでした。絵画は、あくまで工芸であって、詩や音楽のような芸術とは見なされませんでした。 しかし、ベラスケスは、フェリペ4世の宮廷で、苦労の末1651年2月、侍従長( aposentador mayor del palacio )に任命されました。このポストのおかげで、ベラスケスは、地位と収入とを得ることができました。 しかし、同時にその任務にかなりの時間をとられることとなりました。人生最後の8年間で、彼は作品をほんの少し仕上げられただけでしたが、その大部分は王家の肖像でした。 『ラス・メニーナス』を描いたのは、彼が王宮で働き始めて33年目のことでした。 『ラス・メニーナス』は、西洋美術史において重要な作品であると長く認められています。 バロック期の画家ルカ・ジョルダーノは「絵画の神学」を象徴するものだと言い、19世紀の画家トーマス・ローレンスは「芸術の原理」と呼びました。 最近のコメ...