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Blue Water Lilies 青い睡蓮 Nymphéas bleus - Claude Monet | Musée d'Orsay クロード・モネの晩年の油彩画『青い睡蓮』(1916〜1919年頃制作)は、パリのオルセー美術館に所蔵されています。 モネは1893年、フランス北部ジヴェルニーの自邸に設けた水の庭で白いスイレンを育てていました。1910年代から1926年に亡くなるまで、この庭、とりわけその池は、彼にとって唯一のインスピレーションの源となりました。 しかし、熱帯性の「青い睡蓮」は当時のフランスの気候では育てるのが難しく、温室まで作ったもののついに咲かせることができませんでした。 水の庭 – 北川村「モネの庭」マルモッタン 高知県北川村にある北川村「モネの庭」マルモッタンでは、 モネが夢見た青い睡蓮の栽培に成功していて、 夏から秋にかけて見ごろを迎えます。 青以外にも赤や白の鮮やかなスイレンの花が毎朝約300輪咲き、水面を彩るようです。
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Festival de Cannes カンヌ映画祭 The history of the Festival - Festival de Cannes 今は、レッドカーペットに、映画スターがここぞとばかりにゴージャスなドレスとタキシード姿で颯爽と現れるイメージですが、昔は、上の写真のように、まるでバカンスを楽しむかのように人が集まる場所だったようです。 1946年にフランス政府が開催して以来、毎年5月(1948年、1950年は中止)にフランス南部コート・ダジュール沿いの都市カンヌで開かれている国際映画製作者連盟(FIAPF)公認の映画祭です。 カンヌ映画祭はベルリン国際映画祭、ヴェネツィア国際映画祭と併せ、世界三大映画祭のひとつに数えられ、 入場が上映作品や映画業界、報道等の関係者に限定され、一般客は入場できません。 第79回カンヌ国際映画祭ラインナップが発表! 日本から3作品がコンペティション部門に選出 | Vogue Japan 2026年5月23日土曜日に開催される、第79回カンヌ映画祭では、日本から、パルム・ドール受賞監督である是枝裕和の『箱の中の羊』、深田晃司の『ナギダイアリー』、濱口竜介の『急に具合が悪くなる』の 3作品がコンペティション部門に選出されます。 深田晃司の『ナギダイアリー』 は、2013年公開の『ほとりの作子』(原題:Au revoir l’été)を彷彿とさせる、日本の田舎を舞台にした繊細な物語を提示する。『ほとりの作子』は、ロメールの影響を受けた夏の物語であるです。 小津安二郎監督の『東京へ旅する』に着想を得た平田織座の戯曲『東京ノーツ』を原作とする 『ナギダイアリー』 は、舞台を日本の西部にある小さな山村に移しています。 都会の喧騒から遠く離れた凪で、離婚した建築家が彫刻家となった元義姉を訪ねます。 彼 女がモデルを引き受けたことから、短い滞在のはずだったものが、いつしか時間の流れが止まったような感覚へと変わっていきます。 同じ仕草が繰り返され、沈黙の時間が次第に重くなっていくにつれ、埋もれていた過去が徐々に浮かび上がってきます。 「アーティストとモデルの関係、そしてその間にあるキャンバスや彫刻といった空間は、ジャック・リヴェット監督の『美しきトラブルメーカー』で非常に巧みに描かれており、私に大きなインスピレーションを与えてくれました。...
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Église de la Madeleine マドレーヌ教会 マドレーヌ教会は、、フランスの首都・パリ8区にあり、「聖女マドレーヌ」を守護聖人とするカトリック教会です。 パリでお散歩♡コンコルド広場からマドレーヌ寺院、プランタン | 東京おさんぽ&旅日記 その外観は、キリスト教の教会としてはかなり異例で、コリント式の柱が並ぶなど古代ギリシア・古代ローマの神殿を模したネオ・クラシック様式(新古典主義建築)です。 ブルボン朝末期、ルイ15世により聖女マドレーヌに捧げる教会として建設が始まり、途中、フランス革命などで建設を中断しています。 1805年、ナポレオン1世がフランス軍の名誉を讃える栄光の神殿とすることを決定し、建築家ピエール・ヴィーニョン(1763-1828年)が古代神殿風のデザインで設計しました。 1806年に工事を再開し、ナポレオンの失脚後、ルイ18世によってカトリック教会に用途が戻され、1842年に完成しました。 アリスティッド・カヴァイエ=コルによって建造されたパイプオルガンは1849年に設置され、現在のものは1923年に修復を受けたものです。 歴代のオルガン奏者はサン=サーンスなどの著名な演奏家・作曲家で占められました。帝国の公的な教会だったマドレーヌ寺院のオルガニストは、当時のパリのオルガニストの最高峰といわれた職でした。 同寺院でサン=サーンスの演奏を聴いたリストは、彼こそが世界最高のオルガニストだと言い切ったそうです。 オルガニストの一人だったガブリエル・フォーレが「レクイエム」の初演をマドレーヌ寺院で行ったことでも知られてます。 このマドレーヌ寺院があるパリ8区の「マドレーヌ広場」は、高級食料品店「フォション」の本店やカフェが集まるエレガントなエリアです。 〈フォション〉マドレーヌ詰合せ | 商品詳細 | 高島屋オンラインストア フランスの伝統的な焼き菓子の「マドレーヌ」も、聖女マドレーヌに由来し、フォションでは、ナチュール・フランボワーズ・ピスターシュ・ショコラなど販売しています。 マドレーヌが貝殻型焼き菓子である由来は、18世紀半ば、フランス東部ロレーヌ地方のコメルシーで、菓子職人マドレーヌが、キリスト教の巡礼(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)のシンボルであるホタテ貝の形を模して作ったと言われています。 ロレーヌ地方は、中世からのサンティ...
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Metz メス 同じ「メス」という発音でも、英語では、messで、フランス語では、metzです。 こちらは、フランス北東部に位置する都市で、西部はモーゼル川とセイユ川の谷にあたり、市中心部とサブロン地区は小高い丘の上にあります。市東部の地区は標高が高く、ロレーヌ盆地の支脈にあたり、標高358mのサン=カンタン山が市を見下ろしています。 この都市は、紀元前52年のカエサルによるガリア征服まで、ケルト人のMediomatrici族の城市でした。ローマ帝国へ編入されると、すぐにメスは人口4万のガリアにおける中心都市のひとつへ変化し、蛮族の襲撃と5世紀末のフランク族の移住までそれを維持しました。 神聖ローマ帝国領にあって、ヨーロッパ経済の中心地の一つであったメスは、1552年にフランス王アンリ2世がトゥール、ヴェルダンと共に占領、1648年のヴェストファーレン条約で正式にフランス領になりました。 1870年に勃発した普仏戦争では、この地において、フランソワ・アシル・バゼーヌ将軍率いるフランス軍の主力が包囲されました。その救援に向かったナポレオン3世は、その途中のスダンで捕らえられプロイセンに降伏しています。 戦争後、メスはドイツに併合され、1918年の世界大戦終戦まで48年間、この状態が続きます。 19世紀末から20世紀初頭にかけてフランスで活躍したアール・ヌーヴォーを代表するガラス工芸家のエミール・ガレ(Emile Gallé)は、メス郊外に工房を構え、「ロサ・ガリカ」(仏名: ローズ・ド・フランス)を主題にした装飾の作品により、普仏戦争(1870-1871年)の敗北によってフランスが失った領土への愛惜の念を薔薇に託しました。 戦争前、ロレーヌ地方ではロサ・ガリカは、フランス領だったサン=カンタン山にしか自生していませんでした。その山は戦後ドイツ領に変わり、簡単に近づくことは出来なくなりました。それでも「『フランスの薔薇』と呼ばれる野生の薔薇は、戦場で流された血のように赤い花を咲かせ続ける」と、ガレは訴えました。 こちらは、「フランスの薔薇(ロサ・ガリカ)」をモチーフにしたガレの後期のガラス作品です。1901年、ナンシー中央園芸協会の会長を退任するジュール=レオン・シモンのために、脚付きの大杯を制作しました。メスに生まれ、バラの研究に尽力したシモンへのオマージュでもありま...