Metz
メス
同じ「メス」という発音でも、英語では、messで、フランス語では、metzです。
こちらは、フランス北東部に位置する都市で、西部はモーゼル川とセイユ川の谷にあたり、市中心部とサブロン地区は小高い丘の上にあります。市東部の地区は標高が高く、ロレーヌ盆地の支脈にあたり、標高358mのサン=カンタン山が市を見下ろしています。
この都市は、紀元前52年のカエサルによるガリア征服まで、ケルト人のMediomatrici族の城市でした。ローマ帝国へ編入されると、すぐにメスは人口4万のガリアにおける中心都市のひとつへ変化し、蛮族の襲撃と5世紀末のフランク族の移住までそれを維持しました。
神聖ローマ帝国領にあって、ヨーロッパ経済の中心地の一つであったメスは、1552年にフランス王アンリ2世がトゥール、ヴェルダンと共に占領、1648年のヴェストファーレン条約で正式にフランス領になりました。
1870年に勃発した普仏戦争では、この地において、フランソワ・アシル・バゼーヌ将軍率いるフランス軍の主力が包囲されました。その救援に向かったナポレオン3世は、その途中のスダンで捕らえられプロイセンに降伏しています。戦争後、メスはドイツに併合され、1918年の世界大戦終戦まで48年間、この状態が続きます。
19世紀末から20世紀初頭にかけてフランスで活躍したアール・ヌーヴォーを代表するガラス工芸家のエミール・ガレ(Emile Gallé)は、メス郊外に工房を構え、「ロサ・ガリカ」(仏名: ローズ・ド・フランス)を主題にした装飾の作品により、普仏戦争(1870-1871年)の敗北によってフランスが失った領土への愛惜の念を薔薇に託しました。
戦争前、ロレーヌ地方ではロサ・ガリカは、フランス領だったサン=カンタン山にしか自生していませんでした。その山は戦後ドイツ領に変わり、簡単に近づくことは出来なくなりました。それでも「『フランスの薔薇』と呼ばれる野生の薔薇は、戦場で流された血のように赤い花を咲かせ続ける」と、ガレは訴えました。
こちらは、「フランスの薔薇(ロサ・ガリカ)」をモチーフにしたガレの後期のガラス作品です。1901年、ナンシー中央園芸協会の会長を退任するジュール=レオン・シモンのために、脚付きの大杯を制作しました。メスに生まれ、バラの研究に尽力したシモンへのオマージュでもありました。
日本では、広島市の下瀬美術館で、以下の作品が所蔵されています。
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