L'abbaye de Fontevraud
フォントヴロー修道院
フランス・メーヌ=エ=ロワール県フォントヴロー=ラベイ近郊にある修道院です。
巡回説教師ロベール・ダルブリッセルによって創建されました。
訪れたときの印象では、イギリス王家の人たちのお墓があることから、イギリスとの関係が深かった事や、修道院のキッチンが残されていて、かなり大人数の食事の支度がなされていた事が窺えました。
修道院の創設初期には、イギリスの王家、プランタジネット家が、修道院の有力な後援者でした。
その背景として、修道院は、男女の聖職者が分かれて生活を送っていて、修道会は外国でも成功をおさめていました。多くのフォントヴロー派修道院がイングランドにも建てられました。
また、修道会の指導者は女性であるべきだとして、初代院長としてペトロニーユ・ド・シュミエ(Pétronille de Chemillé)を任命し、彼女の後継者となったのはイングランド王ヘンリー2世の伯母にあたるイザベル・ダンジューでした。
さらに、イザベル・ダンジューが院長であった時代、ヘンリー2世の妃アリエノール・ダキテーヌが夫亡き後に尼僧としてフォントヴローにいたことも関係しています。
このような措置が、フランス・ブルボン王家を含む多くの高貴で裕福な尼僧を年中惹きつける要因となりました。
ルイーズ・ド・ブルボンは自らが院長を務めていた間、自分が手を加えたものの多くに自身の紋章を残しました。
政治的には、フランス国内の領土をめぐって、イギリス王家とフランス王家は対立関係にありました。統治を巡る争いや、両王家の強引な結婚が元となって蜂起が起こっています。
この修道院には、イギリス王家のお墓もあり、以下、前方は、リチャード1世、後方はイザベラ・オブ・アングレームの墓になります。
リチャード1世:プランタジネット朝(アンジュー朝)第2代のイングランド国王(在位:1189年 - 1199年)
イザベラ・オブ・アングレーム:プランタジネット朝(アンジュー朝)第3代イングランド王(在位:1199年 - 1216年)ジョン(リチャード1世の弟)の王妃
その後、フランス革命(1789年5月5日 – 1799年11月9日)までは、国内最大の権力を有する修道院として知られました。
1804年にナポレオンが監獄として利用したことから、破壊を免れ、人々に恐れられる中央刑務所となり、その機能も1963年に終えました。
利用しませんでしたが、現在、修道院の中に、ホテルがあり、ミシュラン1つ星の美味しいレストランもあるようです。
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