Tous chemins vont à Rome 「 すべての道はローマに通ず。」 「裁判官と病院長と隠者」 ジャン=バティスト・オドリーを模したニコラ=ガブリエル・デュピュイによる版画 デサン&サイヤン版、1755年 - 1759年 17世紀のフランスの詩人、ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの『寓話集(Fables)』 第12巻の第25話 の 「裁判官と病院長と隠者」(Le Juge arbitre, l'Hospitalier, et le Solitaire)の物語で用いられ 、現代に伝わる教訓としての意味が定着しました。 ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ (1621〜1695年)は17世紀フランスの古典主義詩人です。 彼がイソップ童話などを下敷きに動物を主人公として著した『寓話詩(寓話集)』は、当時の皇帝ルイ14世の 王太子に人生の教訓を教える目的で書かれ、今もフランスの国民的文学として愛されています。 「裁判官と病院長と隠者」の物語では、 魂の救済を願う3人の友人が、世俗の中でどう生きるかを相談します。 1人は裁判官、もう1人は病院長、そして残りの1人は隠者となって、それぞれのやり方で人々を助けることにします。 裁判官は不正やもめ事に疲れ果て、病院長は患者の世話や日常業務に忙殺され、どちらも精神的な安らぎを得られずにいました。 彼らは隠者である友人のもとを訪ね、「あなたこそ静かで平和な毎日を送っていてうらやましい」と悩みを打ち明けます。 それに対し隠者は、隠者は「自分自身を知らずして他者の救済はできない」と諭します。静かな森の中でさえも自分の心(情念)と向き合うことの厳しさを語り、「自己を知ることこそが、他者を導き、平穏を得るための第一歩である」という人生の教訓(精神的遺書)で締めくくられます。 この物語は、どの生き方が優れているかではなく、「魂の救済」や「真理」にたどり着くための道筋や方法は人それぞれであり、どの道も最終的には同じ目的地(真理・救済)に通じているという深い人生訓を表しています。 歴史的背景としては、 歴史的背景古代ローマ帝国は、属州を支配し物資や軍隊を迅速に移動させるため、何万キロにも及ぶ巨大な道路網(アッピア街道など)を築き上げました。 すべての主要な街道が帝国の首都であるローマへと繋がっていた事実から生まれた言葉です。 その為、「す...
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