Festa Junina 「6月の祭り」 ブラジルのお祭り“フェスタジュニーナ”とは - SORTE ブラジルマガジン 7月半ばも過ぎ、作物に恵みの雨をもたらす梅雨が明けの時期ですが、 フェスタ・ジュニーナ「6月の祭り」に参加してきました。 ブラジルの各地で盛り上がる6月(7月)のイベントで、7月に行われる場合もあり、ポルトガル語で7月はJulhoなので、フェスタジュリーナ(Festa Julina)と呼ばれます。 フェスタジュニーナとは、もともとはヨーロッパ各地で行われていた豊穣を祈願する祭りを、16〜17世紀にポルトガルからブラジルへ持ち込まれ各地で開かれたのが始まりです。 ブラジルでは冬至や収穫、聖アントニオ(結婚の聖人)、聖ジョアン・バチスタ(火の聖人)、聖ペドロ(雨の聖人)の3人の聖人を讃え、焚き火やダンスで盛大にお祝いします。 夏休みが始まっているせいか、子供の参加もちらほら... 大人に夏休みはありませんが、長い夏を乗り切るのに、何か本でもと思っていたところ、夏に読む海外文学の中に、『ダロウェイ夫人』が紹介されていました。 ダロウェイ夫人 (集英社文庫) | ヴァージニア・ウルフ, 丹治 愛 |本 | 通販 | Amazon 『ダロウェイ夫人』は、1925年に発表されたヴァージニア・ウルフの長編小説で、第一次世界大戦の爪痕の残るロンドンで、6月のある日、夜会を開く当日のクラリッサ・ダロウェイの1日を「意識の流れ」の手法で、生、死、時を描いたモダニズム文学の代表作です。 戦争は終わり、何気ない朝に感じる生きている喜びを噛みしめながら、夜会の準備から終わりまでに、現在と過去、初夏という季節の描写の美しさやクラリッサおよび周りの人々の生と死への観念を考えさせられます。
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La Promenade 『散歩』 Exhibition Renoir and Love | Musée d'Orsay 『ラ・プロムナード(散歩)』は、 フランスの画家ピエール=オーギュスト・ルノワールが1870年に制作した初期印象派の油彩画で、 ロサンゼルスのJ・ポール・ゲティ美術館に収蔵されています。 5月17日から本日まで、フランス、パリのオルセー美術館で、 「Renoir and Love A Joyful modernity (1865-1885) 」 という題名で展示されています。 この作品は、郊外へ遠出をした パリの中産階級の 若いカップルが、 自然光の中で 、公園の小道を歩く様子を描いています。 美しい時代のパリ郊外を舞台に、木漏れ日や柔らかなタッチが印象的な作品として知られています。 ルノワールは、マネ、ドガ、モネ、カイユボットらと同様、19世紀における「現代生活」を描いた偉大な画家の一人と見なされています。 1860年代半ばから1880年代にかけて、彼は光と色彩にあふれた軽やかで流麗な画風を確立するとともに、男女間の関係に焦点を当てた新たな主題を取り上げました。 また、彼が深く敬愛した先人たちへのオマージュという側面も持っています。 18世紀の画家たちが描いたのは、官能的で陽気な庭園での散策風景や 誘惑の場面でしたが、ルノワールが捉えたのは、偶然に出会ったかのような束の間の瞬間です。 ナポレオン3世の第二帝政末期の1870年のフランスは、 ブルジョワ的な慣習や宗教的道徳観が依然として恋愛や性愛を支配していた時代にあって、こうした近代的な恋の「光景」は、より自由な道徳観や「許されざる」恋の芽生えを促すものでした。 伝統的なジェンダーの固定観念がその描写に見られるとはいえ、ルノワールは男女間の関係に再び魔法のような魅力を吹き込むべく、 男性の欲望と女性の同意という問題を暗に問いかけています。 人間同士、そして人間と自然を結びつける根源的な力としての「愛」が、彼の創作の指針となっていました。 Pierre-Auguste Renoir | Publications and Reports | Getty 以上の本の中で、ロンドン大学コートールド美術研究所のジョン・ハウス教授は、以下のように 問いかけます。 「 『散歩』のような...
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Anne Frank Huis アンネ・フランクの家 アンネ・フランクの家はアムステルダムの歴史的観光スポット!チケット予約・購入方法も解説 | NEWT(ニュート) アンネ・フランクの家は、オランダのアムステルダムにあるアンネ・フランクの一家など8人が1942年から約2年間、ナチスの迫害から逃れるため隠れ家として住んでいた家で、現在は、博物館になってます。 アンネ・フランクの家が佇むプリセングラハト運河は、世界遺産のアムステルダム中心部:ジンフェルグラハト内部の17世紀の環状運河地区にあり、その美しい歴史的街並みが印象的です。 オランダの家は表の間口が狭く、奥行きがある家の構造になっているため、アンネフランクの隠れ家は、裏側の建物にあり、表の建物から裏の建物に通じる入口を隠すために、回転式の本棚が置かれていました。 アンネ・フランクの家へ(春のオランダ旅行 2019-14) : スイスの街角から The Secret Annex | Anne Frank House この隠れ家の屋根裏部屋で、アンネが書いた「アンネの日記」は有名です。 Amazon.co.jp: アンネの日記 増補新訂版 eBook : アンネ・フランク, 深町眞理子: 本 アンネは、第二次世界大戦中のドイツによる占領下のオランダ、アムステルダムが舞台に、国家社会主義ドイツ労働者党によるユダヤ人狩りのホロコーストを避けるために、咳も出せないほど音に敏感だった隠れ家に潜んだユダヤ人達の生活が描かれています。 主要な登場人物は、アンネと一緒にアムステルダム市プリンセンフラハト263番地の隠れ家に隠れていた、7人の同居人とその生活を助けていた人々です。 アンネの死後、生き残った父オットー・フランクの尽力によって出版され、世界的ベストセラーになりました。
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Tous chemins vont à Rome 「 すべての道はローマに通ず。」 「裁判官と病院長と隠者」 ジャン=バティスト・オドリーを模したニコラ=ガブリエル・デュピュイによる版画 デサン&サイヤン版、1755年 - 1759年 17世紀のフランスの詩人、ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの『寓話集(Fables)』 第12巻の第25話 の 「裁判官と病院長と隠者」(Le Juge arbitre, l'Hospitalier, et le Solitaire)の物語で用いられ 、現代に伝わる教訓としての意味が定着しました。 ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ (1621〜1695年)は17世紀フランスの古典主義詩人です。 彼がイソップ童話などを下敷きに動物を主人公として著した『寓話詩(寓話集)』は、当時の皇帝ルイ14世の 王太子に人生の教訓を教える目的で書かれ、今もフランスの国民的文学として愛されています。 「裁判官と病院長と隠者」の物語では、 魂の救済を願う3人の友人が、世俗の中でどう生きるかを相談します。 1人は裁判官、もう1人は病院長、そして残りの1人は隠者となって、それぞれのやり方で人々を助けることにします。 裁判官は不正やもめ事に疲れ果て、病院長は患者の世話や日常業務に忙殺され、どちらも精神的な安らぎを得られずにいました。 彼らは隠者である友人のもとを訪ね、「あなたこそ静かで平和な毎日を送っていてうらやましい」と悩みを打ち明けます。 それに対し隠者は、隠者は「自分自身を知らずして他者の救済はできない」と諭します。静かな森の中でさえも自分の心(情念)と向き合うことの厳しさを語り、「自己を知ることこそが、他者を導き、平穏を得るための第一歩である」という人生の教訓(精神的遺書)で締めくくられます。 この物語は、どの生き方が優れているかではなく、「魂の救済」や「真理」にたどり着くための道筋や方法は人それぞれであり、どの道も最終的には同じ目的地(真理・救済)に通じているという深い人生訓を表しています。 歴史的背景としては、 歴史的背景古代ローマ帝国は、属州を支配し物資や軍隊を迅速に移動させるため、何万キロにも及ぶ巨大な道路網(アッピア街道など)を築き上げました。 すべての主要な街道が帝国の首都であるローマへと繋がっていた事実から生まれた言葉です。 その為、「す...