Karlův most
カレル橋
カレル橋は、チェコ共和国のプラハを流れるヴルタヴァ川に架かる橋です。
神聖ローマ皇帝カール4世(ボヘミア王カレル1世でもあった)の治世下、建築家ペトル・パルレーシュの設計によるもので、1357年に建設が始まり、1402年に完成しました。
1841年までプラハ旧市街とその周囲をつなぐ唯一の橋で、西欧と東欧の交易ルートとしてプラハが重要な地位を占めるようになりました。
アメリカのオンライン旅行代理店「トリップアドバイザー」は、この「カレル橋」を、世界で最も美しい景観の石橋に選びました。
交響曲第9番「新世界より」で有名な、チェコ国民楽派を代表する作曲家のアントニン・レオポルト・ドヴォルザークは、プラハの北約30kmほど、北ボヘミア、ロプコヴィッツ家の本拠地のひとつであるネラホゼヴェスに生まれました。
「新世界(ニューワールド)」とは、15世紀末のコロンブス到達以降にヨーロッパ人が認識した、南北アメリカ大陸を中心とする地域のことです。
古くから知られていたユーラシア・アフリカ大陸(旧世界)に対し、新たな探検・開拓地として名付けられました。
ドヴォルザークの生家は肉屋と宿屋を営んでいた。父親はツィターの名手として村では評判で、簡単な舞曲を作曲して演奏することもありました。
ドヴォルザークは、6歳で小学校に通い始めるが校長のヨゼフ・シュピッツにヴァイオリンの手ほどきを受けると見る間に上達し、父の宿屋や教会で演奏するようになり、8歳で村の教会の聖歌隊員、9歳でアマチュア楽団のヴァイオリン奏者となり、音楽的才能を見せ始めます。
ドヴォルザークは、プラハのオルガン学校へ入学しました。卒業後は、楽団にヴィオラ奏者として入団、ホテルやレストランで演奏を行って、その後、国民劇場のオーケストラのヴィオラ奏者となりました。
ドヴォルザークは、ウィーンにブラームスを訪ね、翌1879年にはブラームスがプラハのドヴォルザークの許を訪ねるという具合に親しい交際が始まりました。
その後、国際的な名声を得て、ニューヨーク・ナショナル音楽院院長職への就任、交響曲第9番「新世界より」の完成に至ります。
チェコに帰国後、帰国後のドヴォルザークには多くの栄誉が与えられました。
ウィーン楽友協会はドヴォルザークを名誉会員に推挙すると伝え、プラハ音楽院の院長に就任し、プラハで病気で亡くなります。
アメリカ人観光客には「チャールズブリッジ」(Charles Bridge)の名で親しまれ、日本語では「カール4世」ですが、英語ではCharles IVとなり、橋の名前の由来になっています。
カレル橋(Charles Bridge)には、合計30体の聖人像が欄干に並んでいて、橋から見える高台には、プラハ城があります。
モルダウ川に架かるこの歴史的な橋は、プラハ城の絶景を見渡せる場所として、欧米からの観光客に必須のスポットです。
高台にあるプラハ城からは、オレンジ屋根と無数の尖塔が織りなす中世の美しい街並みが見え、プラハが、「百塔の街」と称される世界遺産の街であることが分かります。
アメリカのニューヨークには、沢山の橋があり、塔のような高層ビルが多く並んでいます。
ドヴォルザークの見たニューヨークと今のニューヨークは違うかもしれませんが、故郷のチェコ・プラハのイメージを重ねて、アメリカ・ニューヨークで、「新世界より」を作曲したのかもしれません。
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