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Victoria Peak ヴィクトリア・ピーク 写真は、広東語で太平山(別名  扯旗山) と言われ、香港の観光地となっている山で、夜景の名所として知られています。「香港島」の最高峰で、 香港では単に「ザ・ピーク」(山頂)とも呼ばれます。 写真の通り、ここから見る景色は、100万ドルの夜景と言われ、宝石を散りばめるたような、素敵な景色となっています。 この場所に「太平山餐庁 (ピークルックアウト)」というレストランがあり、美味しかったのを覚えています。 ※ The Peak Lookout Hong Kong | Historic Restaurant & Event Venue イギリス人は、中国人が太平山と呼んでいた山の頂上を当初はポゼッション山と名付ましたが、その後オースティン山に改め、さらにヴィクトリア女王の名にちなんで「ヴィクトリア・ピーク」と名付けました。 普通ヴィクトリア・ピークと呼ばれるのは実際の太平山の頂上ではなく、ピークトラムの山頂駅とその一帯のことを意味します。 19世紀半ばに香港がイギリスの植民地となって以来、西洋人たちが山頂に邸宅を建てて住むようになりました。これには山頂からの眺めが素晴らしかったという理由のほか、香港市街(ヴィクトリア市)の亜熱帯の蒸し暑さに比べると山頂は幾分涼しく過ごしやすかったという理由もあります。 ピークトラム開通後はヴィクトリア・ピークの住宅地に対する需要が増大しました。1904年から1930年の間は、山頂部一帯にヨーロッパ人と各国政府関係者以外の居住を認めない「山頂区保留条例」(Peak Reservation Ordinance)が施行されていました。 これは、1894年に始まったペストの世界的感染を受け、ヴィクトリア市の中国人の間で蔓延する流行病から身を守るという健康上の名目がありましたが、中国人に対する人種的・社会的隔離の側面もありました。中国人がヴィクトリア・ピークに住めるようになったのは1947年のことでした。 戦後の香港でもヴィクトリア・ピーク付近は超高級住宅地となっていますが、気候上あるいは健康上の理由ではなくヴィクトリア・ピークの高い社会的地位を求めて住まわれるようになっています。 中国返還後の香港では、経済格差が拡大していて、特に、不動産価格の高騰や、中国本土からの富裕層の流入が、格差を...
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  Breakfast at Tiffany’s 『ティファニーで朝食を』 アメリカ合衆国の小説家トルーマン・カポーティによる中編小説です。 ニューヨークを舞台に、自由奔放に生きる女性主人公を描く。1961年にオードリー・ヘプバーン主演の映画は有名です。 ※ 「ティファニーで朝食を」が描く夢と憧れの街、NY(ニューヨーク)。【旅するオードリー・ヘプバーン】 | Vogue Japan 題名は主人公の言う「ティファニーで朝食を食べるご身分」というたとえで、映画の中で、オードリー演じる、ホリーは「ティファニーで朝食を食べる」ことを「気取った贅沢」や「憧れの象徴」として表現しています。 映画の中で、ホリーのファッション、特に「リトル・ブラックドレス」は、今もなお多くの女性の憧れの的ですし、ヘンリー・マンシーニ作曲の主題歌「ムーン・リバー」は、自由奔放なホリーと、彼女に惹かれていく作家ポールとのロマンスを盛り上げる名曲として知られています。 ティファニーは、1837年9月18日にチャールズ・ルイス・ティファニーとジョン・B・ヤングによってアメリカで創業され、今日では、ロンドン・ローマ・シドニー・東京など世界20カ国にブランドショップを持っています。現在はルイ・ヴィトンを中核とするフランスの企業グループであるLVMHに属します。 ブランドのこだわりとして、 ダイヤモンドに関しては、原産地を明記し、紛争地や人権問題が懸念される国からは調達していません。 カットと研磨は、ベルギー、ボツワナ、モーリシャス、タイ、ベトナム、カンボジアにある自社工場で実施しています。 セッティングについては、エンゲージリングにおいて、ラウンドブリリアントカットのダイヤモンドを6本の細い爪で支える立て爪のセッティングを初めて取り入れたことで有名で、この方法はティファニーセッティングと呼ばれています。 アメリカ企業としては初めてスターリングシルバー基準を適用し、この基準はその後アメリカ政府の公式基準として採用されました。 ※ ティファニー 1837™ インターロッキング サークル リング イエローゴールド & スターリングシルバー | Tiffany & Co. 写真のリングは、ティファニー創業の年を記念し刻印した、洗練された曲線とフォルムが特徴のティファニー 1837™ コレクションで...
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  Biancaneve e Rosarossa 『 白雪姫と赤薔薇 』 グリム童話の「白雪と紅ばら」という物語で、イタリア語の題名になります。 ※ 楽天Kobo電子書籍ストア: Biancaneve e Rosarossa - Audio libro illustrato con leimmagini d'epoca del Museo Figurina - Fratelli Grimm - 9788857007656 ドイツ学者のグリム兄弟の童話集の一つで、ドイツ語では、  Schneeweißchen und Rosenrot, 英語では、Snow-White and Rose-Redという題名になるようです。 この物語は、美しい二人の姉妹と熊の友情、そして王子との出会いを描いた作品です。 グリム兄弟は、主にドイツの昔話を収集し、それを編集して「子どもと家庭の童話集」として出版しました。 グリム童話は、彼らが収集した昔話を元に、ドイツの文化や価値観を反映した形でまとめられ、 世界中で翻訳され、多くの人々に愛されています。 「白雪と紅ばら」 白雪と紅ばらという仲の良い姉妹が、冬の寒い日に森の中で一匹の熊と出会います。 姉妹は熊を家に招き、共に冬を過ごすうちに、熊と親しくなります。 春になり、熊が森に帰る時、姉妹は少し寂しさを感じます。 その後、姉妹は旅の途中で、意地悪な小人に遭遇し、小人を助けた熊が小人を懲らしめる場面に遭遇します。 実は、その熊は魔法で姿を変えられた王子だったのです。 最後に、小人の魔法が解け、熊は元の姿に戻り、姉妹と結ばれ、幸せに暮らすという物語です。 ※ ビクトリア朝の白雪姫と赤いバラの短いイラスト付き電子書籍。グリム姉妹のデジタルストーリーブック。森の少女と小人の印刷可能な物語。 - Etsy 日本 上記 の イラストは、 ロンドンのビショップスゲイトで、Raphael Tuck (ラファエル・タック) とその妻が、1866年に創設したRaphael Tuck & Sons Ltd. (ラファエル・タック&サンズ社) という出版社の物で、 ラファエル・タック&サンズ社は、イギリス王室御用達の出版社のようです。 ※ Amazon.co.jp: しらゆきべにばら: グリム童話 : グリム, バーバラ・クーニー, 鈴...
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  Gucci グッチ グッチとは1921年にイタリア・フィレンツェで創業した、世界を代表するラグジュアリーブランドです。100年以上の歴史を持ち、今なお多くの人々を魅了し続けています。 グッチの歴史は1881年にイタリア・フィレンツェで生まれたグッチオ・グッチから始まります。 若い頃にロンドンのサヴォイホテルでポーターとして働いていた彼は、上流階級の旅行者が使用する高級な革製品に魅了されました。 1921年、40歳になったグッチオは故郷フィレンツェに戻り小さな革製品店を開業します。 当初は馬具や乗馬用品を扱っていましたが、その卓越した品質とデザインが評判を呼び、やがて上流階級の顧客を獲得していきました。 グッチオは「品質、職人技、伝統」という今日までグッチが大切にしている価値観を確立。彼の革新的な精神と職人としての誇りが、世界的なラグジュアリーブランドの礎となったのです。 グッチの歴史は、華やかなファッションの世界の裏側で繰り広げられた、一族の野望と確執の物語でもあり、 映画「ハウス・オブ・グッチ」で描かれています。 ※ Amazon.co.jp: ハウス・オブ・グッチ(日本語字幕版)を観る | Prime Video 家族経営の限界を痛感したグッチは、1999年までに全ての株式がフランスの高級品コングロマリットPPR(現ケリング)グループに売却され、完全に一族の手を離れることになりました。 このプロフェッショナルな経営体制への移行と、トム・フォードの手によってグッチは21世紀に向けて生まれ変わりました。 その後も、時代を代表するデザイナーたちがブランドを率いて、グッチは現在も変わらぬ人気を誇っています。 ※ Gucci: The Art of Silk(日本語)単行本 | GUCCI公式 写真の『Gucci: The Art of Silk』は、グッチのシルクスカーフに秘められた豊かな歴史と芸術性をたたえた初めてのアートブックです。 グッチのアーカイブの写真を掲載するほか、コンテンポラリーアーティストにより特別にデザインされた「90 x 90」プロジェクトのスカーフを紹介します。 「90 x 90」:9人のアーティストがグッチを象徴する5つのモチーフを再解釈したスカーフをデザイン 本書は、シルク製品におけるグッチの揺るぎないクリエイティビティにオマージュ...
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William Somerset Maugham ウィリアム・サマセット・モーム ※ Amazon.co.jp: 人間の絆(上) (新潮文庫) : サマセット・モーム: 本 このブログを書き始めてから、こちらのイギリスの小説家に出会いました。 W・サマセット・モームは、ブログで記載した、タイ バンコクのマンダリンホテルに滞在したことがあり、フォーシーズンズ ホテル ジョルジュ・サンク パリのある、パリ8区の在仏イギリス大使館内でに生まれ、ニースの自身の邸宅で亡くなっています。 ウィリアム・サマセット・モームは、 1874年1月25日、フランス・パリで生を受けました。両親はともにイギリス人であり、父ロバート(1823年生まれ)は在パリ英国大使館に顧問弁護士として勤務、サマセットは4人兄弟の末子でした。 父と母は17歳という年齢差があり、母メアリは名門の家柄で軍人の娘であり、その美貌からパリ社交界の華と謳われました。彼女のもとには、作家プロスペル・メリメや画家ギュスターヴ・ドレも訪れたといいます。 10歳で両親が病気で亡くなり、孤児となります。イギリスに居る牧師の叔父に引き取られます。モーム自身も、青年期は病気を患い、南フランスで転地療養しながら、学問をします。イギリスに帰国後、医師となりました。第一次世界大戦においては軍医として従軍し、その後、諜報部員としても活動しました。 ロシア革命時、モームは、英国秘密情報部に所属する情報工作員でした。また、モームは同性愛者としても知られてます。そして、 モームは、生涯にわたり頻繁に長期旅行を行った作家で、 旅行と諜報活動、2つの世界大戦の最中、多くの小説を書いています。 1914年、第一次世界大戦が勃発すると、ベルギー戦線の赤十字野戦病院に勤務、その後、 スイス・ジュネーヴで 諜報機関に所属して活動を行いました。公には劇作家としての活動を継続し、1915年には、大作『人間の絆』(上記の写真)が出版されましたが、戦時中であったため注目を集めることはありませんでした。しかし、同時期に執筆した戯曲『おえら方』は、1917年にアメリカで上演され、大きな成功を収めました。この時期に結婚し、一人娘ライザが誕生しています。 以下の写真は、モームが、 1911年4月から1919年3月まで住んでいたロンドンの家で、 この家に住んでいる間に、『人間...
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Mandarin Oriental, Bangkok  マンダリン・オリエンタル・バンコク タイのマンダリン・オリエンタル・バンコクのスパを予約して訪れました。 お花の浮いたバスに入れるのかと思いきや、違うプログラムでしたが、それなりのゴージャスなタイ式マッサージで、満足しました。 有り難いことに、スパの始まる前、休憩中、終了後の3回ぐらい、 マンゴージュースを 頂きました... バンコクの湿度の高い気候とオリエンタルな優雅なホテルの雰囲気の中で、飲んだマンゴージュースは、格別でした。 ※ マンダリン オリエンタル バンコク - バンコク - ミシュランガイド ステイはしませんでしたが、このホテルは、ヴィクトリア時代に建てられた最初の棟を基に、現代的なデザインと快適さを追求した歴史あるホテルです。 現在のホテルは、バンコクの中心、チャオ プラヤ川沿いにあるこの5つ星のラグジュアリーホテルは、贅をつくした客室(スイートを含む)、一流レストラン、プライベート スパを兼ね備えてます。 英国の大手メディアであるThe Telegraph主催の「The Telegraph ホテルアワード」で、2024年の「アジアおよび世界で最高のホテル」に選ばれました。 ドレスコードは、基本的にスマートカジュアルな服装が求められます。女性はエレガントな服装、男性は長ズボンとつま先・かかとが覆われた靴(サンダル、ビーチサンダルは不可)を着用するのが一般的です。また、終日男性の袖なしシャツは不可です。 かつてのヴィクトリア時代のオリジナルのホテルは、W・サマセット・モームなどの文豪の宿をつとめ、後にはグレース・ケリーなどの華やかな人々が宿泊客として名を連ねました。 ヴィクトリア時代(19世紀)のバンコクは、チャクリー朝の治世下で、西洋文化の影響が徐々に広がり始めた時期です。 王室は西洋との外交関係を強化し、近代化への取り組みも進めていました。 この時代、バンコクは様々な西洋の文化や技術を取り入れ、都市の発展を遂げていきました。 洋風の建築様式が取り入れられ、西洋の芸術や音楽なども徐々に浸透していきました。 一方で、伝統的なタイ文化も守られ、両者が共存する様相が見られました。 ※ 夏旅はタイで決まり!憧れの名門ホテル「マンダリン オリエンタル バンコク」で過ごす贅沢なご褒美ステイ | ...
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The Tale of Peter Rabbit 『ピーターラビットのおはなし』 ※ ピーターラビット™公式サイト 日本でも人気のピーターラビットですが、 2018年には、「ピーターラビット」の映画が公開され、ヒットしましたが、 そのお話自体は、なかなかシビアで自然界の厳しい掟の中で暮らすラビットたちの様子に驚かされます。 第1作『ピーターラビットのおはなし』冒頭、母親がピーターたち子うさぎに注意を与える場面で登場する。 ” Your Father had an accident there; he was put in a pie by Mrs. McGregor” ピーターのおかあさんは、子どもたちに「マグレガーおじさんの畑にだけは、行ってはだめですよ。お父さんはね、マグレガーおばさんに、パイにされてしまったのですからね」と、話しました。 と書かれています... イギリスの 絵本作家のビアトリクス・ポターは、 英国で最も自然が美しいといわれる湖水地方のウィンダミア湖に近いニアソーリー村に移り住み、ヒル・トップというコテージで、「ピーターラビット」シリーズを書き上げました。 ポターの時代の英国は産業革命の真っただ中。近代化の波は湖水地方にも押し寄せようとしていて、ポターはベストセラーとなった絵本の売り上げで土地を少しずつ購入し、湖水地方の自然を開発や破壊から守る活動を続けました。 今に残るピーターラビットの絵本さながらの美しい景観は、彼女の努力の賜物ともいえます。 2017年には、 このいたずらうさぎの故郷、英国イングランド北西部の湖水地方は、それらが織り成す文化的景観が世界遺産に登録されました。 私も、イギリス湖水地方をウォーキングした時、今にも、はじけんばかりの青いジャケットを着たピーターラビットが、ヒョッコリと出てきてもおかしくないと思う光景だったのを覚えています。 ※ イギリス・湖水地方にあるピーター・ラビット作者のアトリエ「Hill Top」のアクセス方法と楽しみ方 | 地球の歩き方